和泉市 実務者研修 カイゴミライズアカデミー

私の父は放置主義!?だからこそ父から学んだこと。人生を通しての教育について

初めに

明けましておめでとうございます。年中無休。利用者様のことを常に考え利用者様の生活に支障がないようにと。正月、現場を回らせていただきました。正月休みだからといって家でゆっくりすることにより困っている利用者様がいることを考えれば落ち着かないので新年のあいさつ込めて現場を回らせていただきました。すごく充実したお正月になりました。

今回は自分の子供からのことを思い出しながら教育について私なりの考え方を述べさせていただきます。※私の育った家庭での話しになるので参考になるかどうかは別ですが…

目次

・家族間の教育について

・父との思い出?と教訓

・最後に・・・

家族間の教育について

教育とは1.親の教育2.学校の教育3.会社の教育大きく分けて3つの構成で形成されていると考えています。
年齢でみると以下の通り
・親の教育とは0歳~12歳まで
・学校の教育とは12歳~22歳まで(大卒の場合)
・会社の教育とは22歳~現在の間での事とします。

今回は親の教育(0歳~12歳まで)について書き込みます。もちろん保育園や小学校で学ぶ集団行動も大きく影響します。今回、自己紹介もかねて私が育った家庭といったところをピックアップしていきます。

父との思い出?と教訓

私が育った家族構成は祖父、祖母、父、母、兄、私、愛犬が1匹。の7人家族で育ってきました。我が家の家訓は「人に迷惑をかけるな」「人の悪口をいうな」「健康が一番」といったものです。ここでの教育が私のルーツです。

大黒柱である父の決めセリフは「なるようになる」「無人島なら俺は最強だ」「自分の事は自分でやりなさい」です。それが今になって役立つこともたくさんあります。今考えると「無人島なら最強だ」と豪語していた父が生きる術を教えてくれたのだろう。と良い方向に捉える事にしています。

父は休みの日には兄と私を連れてよく遊びに連れて行ってくれました。大体は難波まで行きました。電車で目的地に向かうのだが小学生である私に対して子供用の切符を買ってくれない(※小学生までは無料)

父からは改札口で「ちょっとかがんで入れ」という指示があった。何歳までこういう事をさせられていたのか覚えていないので分からないが…。兄は3歳年上だが、私と同じ扱いで切符を購入せず駅員さんに呼び止められていました。そんな姿を父はうっすら微笑みながら遠くで見ていた事を今でも覚えています。

大好きなゲームセンタではお金はもらえず、傘を渡されました。何を言うかというと「このゲーム機の下にメダルやお金が落ちているはず。この傘でゲーム機の下にあるメダルやお金をとってそれで遊びなさい」このようなことがよくありました。

焼肉店では隣の席で食べ残した肉を店員さんより先に回収しこっちの網に乗せるという指令もありました。とにかく生き抜く為にはプライドは捨てなさい。そんな教育だったのだと思います。

今思うこと。父は「良い加減」ではなく「いい加減」だ。そんな父がいたから父の存在感はこのようにありました。

私にとって父とは「甘えられる存在」ではなく、むしろ「生き方を教えてくれる存在」だと考える様になった。良い意味も悪い意味も今では感謝しています。

父には子供のころから誕生プレゼントは貰った事はないが要求してくる事は多々ある。こんな父を見てどこかで自分がしっかりしないといけない、これはまさに教育のうえで必要な思考を持つようになったのだと思います。父がこれを狙っていたのなら彼は天才だと思います。

しかし、私は、家族には本当に感謝しています。健康な体で産んでくれて自分の好きな介護に携われて。最高の仕事に出会えたことが幸せです。父と過ごした日々はたくさんの経験になりました。

最後に・・・

違う機会でブログに書きたいと思いますが、大好きな祖父と祖母のおかげで大好きな介護職を始めました。だからこそ介護の業界に貢献したい。介護の仕事が大好き。そのような人を一人でも増やしたい!だからこそ介護の資格の学校をしようという考えになりました。

どうか一緒にこの福祉業界を盛り上げていきましょう。2020年!今年もどうぞよろしくお願いします

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